境内神社

白岡八幡神社の境内には4社の末社があります。

境内には八幡神社の御祭神と最も縁の深い摂社(神馬神社)1社と村の人々の篤い信仰によって ご分霊を勧請して祀られた末社(稲荷神社、日枝神社、三峯神社、猿田彦神社)4社があります。
さらに湯島天満宮からご分霊を受けて平成21年度に白岡天満神社のお社を創建しました。
その進捗状況はこのページで詳しくおしらせしております。

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神馬神社 駒寄祭 3月第2日曜日

馬は人間と切り離せない貴重な労働の担い手でした。家族の一員として飼われていた。近郷の農耕馬が当日飼い主に曳かれて境内の摂社「神馬社」に安全祈願の参拝をしました。
参拝を済ませた馬が隣の公園で草競馬などを行い、人々はお祭りの一日をたのしみました。

第二次大戦中に軍用馬として召集され、中国方面に派遣された農耕馬がおりましたが、神馬社に「武運長久」を祈り出征してゆきました。 昭和20年代後半になって農業に耕運機などの機械化が進み、農耕馬が不要になり、馬寄せは衰退し名ばかりになってしまいました。今では崇敬者によって守護神として参拝されています。

神馬の由来

その昔、白岡八幡神社近くに真白な利口でたくましい野生の馬が住んでいた。ふだんは林の中の草を食べていたがそのうち村の畑の作物をあらしはじめた。作物を食い荒らされ村人はほどほど困り果てた。そのままにしておくこともできずみんなで集まって相談しました。その結果、作物を食い荒らす馬をお宮の裏手に牧場のような柵を作り、茅葺の厩を作って住まわせた。やがて、その馬も寿命がきて死んでしまった。

人々は日ごろからこの馬はただの馬ではない。きっと神様に仕えた馬だと信じていましたので、境内の隅に丁重に祀った。のちに厩のところに祠を建てて馬の霊を祀った。この祠を「お馬様」と呼びました。このお馬様は子供の夜泣きにもご利益があるといわれています。

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猿田彦社 祭典 3月25日

祭主は猿田彦命 由緒明治40年10月9日
字山から無格社、猿田彦神社を遷座。

稲荷神社 祭典 2月初午

稲ナリの転じて、五穀を司るうたかたのみたまを祀ったもの、農業の神様です。農村の人々は四季折々に五穀豊穣をいのりました。  
時代とともにその役割も変わってきて工業や商業の神様となって、商売繁盛や衣食住にかかわる万能の神様として崇められ、参拝されています。

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日枝神社 祭典 4月25日

由緒沿革は不明であるが、当社が天台宗の高僧円仁によって草創され、神仏習合の信仰により、延暦寺〈天台宗)と最も関係の深い日枝神社の勧請をうけたものだろうか?

三峯神社 祭典 4月15日

三峯神社には氏子総代が毎春、正式参拝に行きます。大口真神をさずかって来ます。
大口真神とは山犬(オオカミ)の神で泥棒、盗賊除けにご利益があるといわれています。

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白岡天満神社 祭典 11月25日

全国には、天満宮、天満神社は大小、有名、無名を問わず数多く祀られていますが、湯島天満宮のご分霊は長野に1社あるのみで、白岡天満神社は二例目になります。
平成21年12月6日遷座祭を執り行い神霊が鎮座されました。例年の祭典を11月25日に決め、神事を行うことにしました。日ごろのご参拝をお待ちしております。